「よかったぁ、また来てくれた」
明美(あけみ)はぼくに会うなり、そう言った。
その日、彼女と待ち合わせたのは埼玉の国道沿いにあるネットカフェだった。
「遠かったでしょう。ちょっと待っててね」
明美は席を立ち、しばらくして無料のホットコーヒーを片手に戻ってきた。
「あ、ごめん。ホットで良かったよね? 外寒いから……」
ついたてで仕切られただけの薄暗く狭いスペースには、液晶テレビとパソコンが置いてある。
何気なくパソコンの画面に目をやると、出会い系サイトの掲示板が開かれていて、そこには書きかけの彼女の投稿があった。
出会い系サイトで援助交際する人妻
明美は出会い系サイトでエンコー相手を探す人妻だ。
週2で掲示板に書き込み、相手がみつからないときだけ、ぼくは彼女と会うことができる。彼女にとってぼくは、寂しさを埋めるためだけの存在で、いわゆるセフレというものだった。
ぼくが明美と知り合った頃、すでに彼女の結婚生活は破綻していた。破綻の原因は夫の借金癖だ。
ギャンブルで借金を重ねた挙句に彼女名義のカードローンにも手を出していたため、生活は困窮し、彼女の少ないパート収入では返済を続けることはできなかった。
出会い系サイトを使って身体を売り、生活費を補填するようになるまでに、さほど時間はかからなかったと言う。夫は今現在も行方がわからない。
男「ねえ、明美さん。今日はもういいの?」
ぼくは彼女の話を遮(さえぎ)って、聞いた。
女「もう今日は来ないかな……。給料日前だし、今日は男の書き込みも少ないし」
明美と知り合ったきっかけは、出会い系サイトの”今すぐ系”掲示板だった。
一般に「今すぐ系」の書き込みは、援助を求めている子が多い。でも、そのときの彼女の文面からはとくに見返りを求めている様子がなくて好感が持てた。もちろん下心もあるにはあった。
実際に会ってみると、彼女は年齢こそ31歳だったが幼い容姿のせいか実年齢よりもずっと若く見えた。なにより話す言葉が礼儀正しく、ぼくの好みだった。
とくに期待するような展開はなくて、その日は国道沿いのマック2階の隅っこのカウンター席で彼女とたくさんの対話を交わして別れた。
その後もただ話すだけの関係は続いた。
休日に連れ立ってどこかへ出かけたりすることもなく、どちらかの家を訪ねることもない。
だが、聴きとってくれるかも知れない誰かに出会って初めて、自分がなにを話したかったかに気付くものだ。次第に、彼女はすべてをぼくに話し始めた。ぼくらには、お互いに話したいことを話せるようになるための準備期間が必要だったのだ。
初めて彼女のアパートに招かれてセックスしたのもこの頃だったように思う。
「もういい……行く」
そう言って個室ブースの隅にたたんで置いてあったダウンコートを着込み、彼女は立ち上がった。慌てて彼女を追いかけ、彼女のぶんの会計も済ませて外に出た。
陽が落ちるのは早く、あたりは暗くなり始めていた。
明美の自宅は、国道から離れて車で郊外に20分ほど走ったところにある小さな木造アパートの2階にある。彼女の運転で向かった。
冬は車窓に流れる景色がモノトーンで寂しい。
女「この辺りって何も、ないよね」
男「うん」
女「都会に住んでるから寂しくないでしょ?」
男「そうでもないよ、知り合いが少ないから寂しいよ」
女「そう? ◯◯さんも寂しいんだ」
明美はなんだか嬉しそうだった。
アパートに着いた彼女は、トン、トン、トンと慣れた様子で階段を上り、いつものように振り返ってこちらを見ている。
階段は危なっかしいほどの急な傾斜で、初めてこのアパートを訪れたときに、下から見上げた彼女の、スカートからのぞく艶めかしい太腿(ふともも)に魅入ったことを思い出した。
彼女の部屋は1Kで狭く、玄関を入ると左手すぐにキッチンがある。明かりを点けて、ガス台に火を入れた彼女は湯を沸かし始めた。
女「何か作る?」
男「食べてきたから」
女「そう?」
男「うん」
会話は途切れがちだった。
「火を止めなきゃ……」
立ち上がろうとする彼女の手を取り抱き寄せると、ふんわりとした甘い、彼女の体臭が鼻の奥を通って、抜けていった。抑えきれなくなったぼくは、そのまま彼女にくちづけをして居間のこたつの脇の狭いスペースに押し倒した。
白い内腿の間に指を進め、しきりに隠そうとする手を押えながら、中心の感触に意識を凝らす。
「だめ……、やめて、離して」と彼女は切ない声で言った。
膝を閉ざそうとする彼女を押さえつけて、薄布の上から執拗に割れ目をなぞっていると、だんだんとその部分の湿り気が増していく。指を喰い込ませると、まるで、濡れたスポンジのように無色無臭のヨーグルトの上澄み液のようなものがじんわりと滲み出してくる。
そういえば、初めて知った明美の秘密の場所は、ひどく温かで優しく、心地いい場所だったっけ。
明美をあお向けにしてスカートを強引にまくり上げ、しっかりと閉じられていた太腿を押し割ると、ようやく明美はぼくの意を察し、唇を噛んで息を詰めた。
手早く避妊具を装着し、先端を肉割れにあてがい、ほぐしていく。そうして深く深く挿入し、彼女を抱きしめた。
ガスは点きっぱなしで、沸騰しはじめたやかんからは、湯気がもうもうと吹き出していた。
短いセックスのあと、テレビに流れる夕方のニュースをしばらくふたりで見ていた。そのうちに、ぼくだけが寝入ってしまったようだった。
「起きた? お腹空いてるよね。いま用意してるから待ってて」そう言って、起きだしたぼくが「手伝うよ」というのをさえぎり、彼女は手際よく、ひじきのペペロンチーノ、小松菜のおひたし、ご飯に味噌汁という夕食を作ってくれた。
小さなこたつをふたりで囲んでの夕食は、メニューこそ質素だったがとても幸せなものだった。
「結婚生活って、こういうものなのかな」とぼくは思った。
男「別れて再婚とかは考えていない?」
女「どうかなぁ」
彼女は曖昧な笑みで答える。
ぼくなら、彼女を幸せにしてあげられるだろうか。再びこたつでウトウトしながら、彼女の後ろ姿を眺めているうちに、また寝入ってしまった。
朝になり、再び元のネットカフェに彼女を送り届けた。
男「明美さん、今日もここで?」
女「どうかなぁ」
バカなことを聞いてしまったと後悔した。彼女に出会い系で援交をしない選択肢はいまのところ残されていないのだ。
「いつかあの人帰ってくるから、その時までやる、かな」
そう言って彼女は下を向いた。
彼女はウリをする日の朝、募集の書き込みをして、何人もと少しずつ時間をずらして待ち合わせる。値段はホ別苺(ホテル代別で15,000円)。
もし相手が来れば、ラブホテルが密集するエリアに移動する。
しかし、10件のレスがあったら実際に会えるのはひとりかふたり。冷やかしも案外多くて、そのたびに深く心が傷つくのだと言う。
「ハンドルネームは簡単に変えられるけど、出会い系サイトのIDはそうそう変えられないから、IDだけはメモしておくといいよ。バックレる男は、次も繰り返すから待ち合わせする前にメモしたIDと照らしあわせてみてごらん」
ぼくは彼女にそう伝えた。
女「いいの、(冷やかしは)いつものことだから、私は見た目にも自信がないしね」
男「ぼくには、明美さんは十分魅力的だと思うけど……」
女「そう? じゃあ◯◯さんと結婚しようかな」
男「え、……ああ」
彼女の唐突な返答にぼくは戸惑い、一瞬の間をおいて答えた。心臓はバクバクと鼓動し、返事をするのがやっとだった。
ぼくの真意は、この一瞬の間で彼女に見透かされてしまったような気がした。
「うふふ、冗談。◯◯さんを困らせるようなことは言わないから安心して」
彼女はいたずらっぽく笑って、言った。
ここで正直に言おうと思う。
ぶっちゃけぼくのようなセックスを期待して会っているだけの男が、彼女の未来のためにしてあげられることなど何もないのだ。
たとえば彼女との結婚生活を想像することはあっても、それは彼女のことを愛しているといった前向きな気持ちからではなく不遇に共感したからだ。ひとことで言うと、薄っぺらい同情心からである。そんなぼくの中途半端な善意は、彼女も十分承知していたのだろう。
結局他人のぼくには最後まで彼女の(夫に捨てられたという)喪失感を計り知ることはできなかった。
女「じゃあ、行くね」
男「うん、じゃあまた」
女「ううん、もういいの。じゃあね」
意味深な言葉を残して彼女は去った。
この日を境に連絡も途絶えてしまったが、今もどこかで元気にやっているのだろうか。
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